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明細書の十分開示要件の判断基準及び実務への影響     ―「小iロボット」vs「Siri」案件をめぐる

作者:曲天佐 | 更新しました:2020-11-01 | ビュー:

2012年6月、上海智臻網絡科技公司(以下は智臻社と略称する)は米国のアップル社(Apple)のiPhoneに搭載された音声認識機能Siriが自社特許権を侵害しているとして上海市第一中級人民法院に提訴した。

智臻社の特許製品は小iロボットという名前が付けられるため、中国では、この特許は、「小iロボット」特許(以下、本件特許と称する)と呼ばれている。

智臻社の提訴に対し、アップル社は元専利復審委員会に無効審判を請求した。本件特許は現在話題となっている人工知能の分野に属すこと、アップル社はこの分野で極めて重要な地位を占めていること、無効審判の結果は勿論特許権侵害訴訟に影響することなどの理由で、この無効案件の審理は世間の注目を集めていた。

複審委員会により特許権有効との審決が下され、この審決は「2013年専利復審無効十大案件」に選出された。そして、審決に対する審決取消し訴訟の第二審では、無効審決が取消された。この第二審判決は「2015年北京法院知識産権十大代表案件」にも選出された。

智臻社は第二審判決を不服して最高人民法院(最高院)に対して再審を請求した。今年6月に、8年間も続けていたこの無効案件に決着がやっと着いた。即ち、第二審の判決を取り消す、と最高院により再審判決が言い渡された。言い換えれば、最高院は本件特許の有効性を認めた。

本件における一つの大きい争点は、「ゲームサーバ」に関する明細書の開示は中国特許法第26条第3項の規定に合致するか否かということである。


·関連法律

特許法第26条第3項の規定によれば、明細書では発明に対し、当業者が実現できることを基準とした明確かつ完全な説明を行わなければならない。

『審査指南』の規定によれば、当業者が実現できることとは、当業者が明細書の記載内容に基づいて、技術方案を実現し、その技術的問題を解決し、期待された技術的効果を獲得することができることを指す。

本件特許の明細書の開示は十分であるかどうかについて、審決、第一審判決、第二審判決ではそれぞれ異なる判断をした。最後に、最高院は明確な判断基準を判決書で述べた。


案件の経緯

·請求項の内容

本件特許は11項の請求項を有し、そのうち、請求項1は以下のようである。

チャットロボットシステムであって、少なくともユーザと、チャットロボットとを備え、チャットロボットは、人工知能と情報処理機能を有する人工知能サーバ及び対応するデータベースを有し、さらにユーザはリアルタイム通信プラットホームまたはショートメッセージプラットホームを通じてチャットロボットと各種会話を行う通信モジュールを有するチャットロボットシステムにおいて、

該チャットロボットは検索サーバと対応するデータベースと、ゲームサーバとを備え、

通信モジュールにて受信したユーザの言語が定型語か或いは自然言語であるか否かを区別するフィルターを有し、フィルターによる区別結果に基づき、当該ユーザの言語を対応する人工知能サーバ、検索サーバまたはゲームサーバに転送することが特徴とするチャットロボットシステム。

アップル社が主張した無効理由の1つは、「ゲームサーバ」によりゲーム機能を一体どうのように実現するかに関して、明細書の開示が不十分である。


·審決の認定

明細書には、「チャットロボットは、基本的に1つ又は2つのロボットサーバーであり、そのうち、通信モジュールと、フィルタと、会話モジュールと、検索モジュールとが設置されており、ロボットサーバーの一端はユーザに連結され、他端は人工知能サーバー及び/又は検索サーバ及び/又はゲームサーバに連結される」と記載される。明細書の図1に示されたように、ユーザはロボットサーバーを介してゲームサーバに連結される。また、明細書には、「ロボットにおいて、特にインタラクティブ性を重視する。ロボットは次のインタラクティブゲームを実現する(脳トレゲーム、クイズゲーム、24点、数字当たりなど)」との内容も記載される。これら内容により、当業者にとって、ユーザはリアルタイム通信プラットホームを介してチャットロボットと会話し、チャットロボットの他端はゲームサーバに連結され、チャットロボットにより認識された会話内容に基づき、ユーザはゲームサーバを利用して文字によるインタラクションをもととしたゲーム機能を実現させることができる。

よって、明細書に記載された内容に基づき、本発明におけるチャットロボットシステムのゲームサーバを利用してインタラクティブゲームをすることは当業者にとって実現できる。

従って、元専利復審委員会は、本件特許の明細書では、ゲームサーバによるゲーム機能を実現することに関して、十分に開示したと認定した。


第一審判決の認定

第一審判決では、「明細書の開示は十分であるか否かを判断する踏み台は、当業者が発明の技術内容を実現できるか否かということである。最も接近する従来技術や、又は本発明と最も接近する従来技術と共有する技術特徴について、一般的には、明細書では詳細に記載しなくてもよいが、本発明の従来技術に対する区別的な技術特徴については、明細書では十分に詳細に記載すべきである」との意見を示した。

この判断基準に基づいて、第一審法院は、「ゲーム機能は擬人化会話のもとに追加された機能であり、本発明の実現に不可欠な技術内容ではない。当業者は、通常の技術知識によって請求項1に限定されたゲームサーバを理解できる。従って、ゲーム機能を如何に実現することに関する開示は十分である」との判決を下した。


第二審判決の認定

第二審判決では、第一審判決と異なる結論があった。第二審判決によれば、明細書では発明を実現する実施形態を少なくとも1つ詳しく開示し、発明の理解と実現に必須な技術内容をすべて完全に開示しなければならないとの基準になった。

本件特許の権利化段階の応答書などを検討した後、第二審法院は、ゲーム機能を実現することは、擬人化会話のもとに追加された機能ではなく、擬人化を実現するための1つの実施形態であると判断した。従って、ゲーム機能はか本件特許の請求項1に記載された必須な技術特徴であり、ゲーム機能を如何に実現することは、本件特許を実現するために不可欠な技術特徴であると認定した。

第二審判決によれば、明細書において、1つのゲームサーバを有することと、インタラクティブゲームを実現する仮想だけが記載され、ゲームサーバとチャットロボットの他の部分との接続については全く言及されていない。これで分かるように、本件特許の明細書において、請求項1に限定されたゲーム機能を如何に実現するかが記載されず、特許法第26条第3項の規定に合致しない。従って、本特許において、ゲーム機能の実現に関する開示は不十分である。


·最高院の判決

明細書の開示が十分であるか否かについて、最高院は判決書において一般的な考え方を詳しく説明した。

すなわち、先ず、かかる技術特徴は本特許と従来技術との区別的な技術特徴であるかどうかを判断し、この元に、かかる技術特徴に関する記載は特許法第26条第3項の規定に合致するかを判断する。

『審査指南』において、従来技術と共有する技術特徴及び区別的な技術特徴に対し、開示レベルの要求がそれぞれ異なっている。十分な開示というのは、当業者が実現できることを踏み台とすることであり、当業者の知識及び能力範囲内にある技術特徴に対して、開示への要求が比較的に低いが、当業者の能力範囲を超え、従来技術と区別する技術特徴に対しては、明細書における十分な開示が必要になる。

よって、先ずは「ゲームサーバ」は従来技術と区別する技術特徴であるかを判断し、それから明細書において「ゲームサーバ」に関する開示は十分であるかを判断する手順になる。


·この考え方に基づく判断の手順

第一 本件特許において、「ゲームサーバ」に関わる技術案を理解する

明細書の内容に基づいて本件の証拠を組合せ、以下の内容を確定できる。

(1)本件特許に限定されたゲームサーバの機能は、定型語によって従来のゲームモジュールを呼び出すことによって実現される。

(2)定型語によって従来のゲームモジュールを呼び出すことによってゲームサーバの機能を実現させることは、本件特許の出願日前にあった従来技術である。

(3)本件特許ではゲームサーバと検索サーバに分かれているが、同一のサーバに検索機能及びゲーム機能が同時に搭載されることができる。


第二 ゲームサーバ機能は従来技術と区別する技術特徴に属するか?

これまでの審査過程に基づき、本件特許が権利化された理由はゲームサーバではないので、ゲームサーバ機能は本件特許と従来技術と区別する技術特徴ではないと最高院は認定した。その理由は以下のようである。

(1)ゲームサーバは当該技術分野の通常の技術手段であり、本件特許が権利化になった理由は、引例に対してゲームサーバを備えることではない。

(2)出願人が第三回審査意見通知書を応答する時に、「フィルタ」に関する一連の特徴を追加した。このような実質的な補正があったこそ、本件特許が権利化された。

(3)出願当初の請求項1、4、5の記載からも判断できる。出願当初の請求項1に本件発明の特徴として記載された技術特徴は、人工知能サーバを介してユーザがチャットロボットとの各種の会話を実現することであり、ゲームサーバを備えることではない。


第三 ゲームサーバの技術案は特許法第26条第3項の規定に合致するか?

ゲームサーバは本件特許と従来技術の区別的な技術特徴ではないので、『審査指南』の規定により、ゲームサーバに関する内容を明細書に詳しく記載しなくてもよい。本件特許において、チャットロボットの一端がユーザに連結され、他端はサーバに連結され、ユーザはリアルタイム通信プラットホームまたはショートメッセージプラットホームを通じてチャットロボットと各種の会話を行い、定型化の指令言語によってロボットとのインタラクティブゲームをすることができる。

従って、本件特許において、ゲームサーバに関する内容の開示は十分であり、特許法第26条第3項の規定に合致する。


まとめ

本件の経緯からみて、請求項に記載されたすべての技術特徴について同じような開示を求めるのではなく、技術特徴と従来技術との関連性に基づいて異なる開示レベルが認めることが最高院の判決で確定できた。このような考え方と最高院の判決で決められた判断手順は、実務に対して重要な参考意味を有する。

・新規出願の作成について

特許書類を作成する際、一般的に、従来技術の内容に関しては明細書に詳しく記載することがあまりない。一方、ある技術特徴は従来技術でありながら、本件発明を実現するための必須な技術特徴である場合、その技術特徴を請求項に記載しなければならない。

第二審判決の判断基準によれば、発明を実現するための必須要件であれば、明細書にすべて十分に開示しなければならない。その基準によれば、従来技術に属すため記載が簡略になった必須な技術特徴について、明細書の開示が不十分と指摘される可能性が高くなる。一方、従来技術の内容を詳細に述べない理由で、明細書の開示が不十分と認定することは、出願人にとって不公平なところがある。

最高院の判決では、必須な技術特徴であるかどうかを考えず、従来技術との区別的な技術特徴であるかどうかを主に考える。この判決は、ある程度出願人を安心させた。ただ、「安心」は到底「安全」とは言えない。従来技術との区別的な技術特徴の認定は、従来技術の内容により異なるため、出願人が主張した区別的な技術特徴は、客観的ではない場合もあり、当業者の判断結果と異なることもある。このようなリスクを避けるために、新規出願を作成する時に、請求項に記載された技術特徴についてなるべく明細書に詳細に記載したほうが良いである。

・審査段階について

審査段階において、明細書の開示が不十分であるとの審査意見を受けた場合、最高院のこの判決の判断手順に基づいて、審査意見の妥当性を評価することができる。

明細書における開示が十分であるか否かを判断する際、明細書の文字上の記載に拘るべきではなく、当業者の知識と能力を考えて、全面的に考えるべきである。

具体的には、ある特徴は従来技術と共有する技術特徴であり、且つ当業者がその特徴を理解できる場合、明細書に関連記載が少なくても、開示が十分であるとの可能性がある。それを証明するために、この特徴に関連する従来技術の提出が考えられる。

特許制度の基本的な理念は、「発明を社会に公開する代償として、所定期間の独占権を与えること」であり、権利と義務の表裏一体化が見られる。出願人にとって、「発明を公開する」ことをもって、「所定期間の独占権」を交換したい以上、明細書の開示内容が十分であることを保証しなければならない。一方、ある技術特徴について明細書に詳細な記載がなければ、明細書の開示は絶対に不十分だ、というように固く判断することも合理的ではなく、やはり、当業者の認知能力を考慮しながら判断すべきである。