1.はじめ
市場競争の激化に伴い、営業秘密侵害事件が多発している。そのうち、「転職による営業秘密の漏洩」 は、営業秘密侵害事件の最も主要な形態となっている。上海知財裁判所の統計によれば、当裁判所 が審理した営業秘密民事事件の約9割が人材の流動によって引き起こされており[1]、特にチップ、バ イオ医薬、新材料、電子情報等のハイテク業界で集中して発生している。
同時に、デジタル化の進展により、「転職時の営業秘密の持ち出し」の実施が一層容易になり、営 業秘密保護に前例のない課題をもたらしている。営業秘密の媒体が電子データに転換したことで漏洩 するリスクが大幅に高まり、テレワーク・越境協働など新型勤務状態により、秘密保持手段の実行が 難しくなり、秘密侵害行為はより隠蔽的になっている。
営業秘密の保護に関して、中国ではすでに多層的かつ広範なの体系を構築している。具体的には、 『不正競争防止法』を核心とし、『民法典』及び『刑法』を柱とし、最高人民法院による『営業秘密侵 害民事事件審理に関する法律適用の若干問題に関する規定』や、国家市場監督管理総局による『営 業秘密保護規定』(2026年6月1日施行)などの行政規則を実務的根拠とし、一貫した制度的 枠組みが形成されている。この一連の法律・法規は、営業秘密の保護ニーズに的確に応えるとともに、 企業に有力な権利救済の保障を提供している。
本稿は事例に基づいて、営業秘密の法的保護の核心的ポイントを紹介し、転職による営業秘密漏 洩の防止について、実務上のアドバイスを提供する。
2.営業秘密の構成及び司法的認定基準
2.1 営業秘密の定義と保護範囲
営業秘密とは、「公然と知られておらず、商業的価値を有し、かつ権利者により相応の秘密保持措 置が講じられている技術情報、経営情報等の営業情報」をいう。そのうち、技術情報には技術に関 連する構造、原料、製造プロセス、データ、アルゴリズム、コンピュータプログラム、コード等が含まれる。 経営情報には経営活動に関連するアイデア、管理、販売、財務、計画、サンプル、顧客情報等が含まれる。
実務上、営業秘密の保護範囲を関連秘密情報の全体として捉える傾向が顕著になっている。 (2023)最高法知民終2913号案件において、最高人民法院は、技術秘密の一部の情報が公知 であっても、全体としての技術案の秘密性を考慮すべきであり、断片的な情報を組み合わせるこ とで技術案全体の非公知性を否定することは認めないと明確に示した。また、(2023)最高法知 民終2039号案件では、最高人民法院は「全体的なデータベース」保護の原則を確立し、37340 点の技術図面及び文書を1つの技術情報データベースとして保護し、秘密ポイントを個別的に鑑 定する従来の枠組みを破った。これにより、個別の図面情報が公開されている可能性があっても、 プロセスの詳細やパラメータの組合せ等の一体的技術体系は営業秘密として保護されることがで きる。
2.2 営業秘密の三つの構成要件
営業秘密を認定するには秘密性・価値性・秘密保持性の3つの要件を満たす必要がある。
(1). 秘密性の認定
秘密性の核心的判断基準は「侵害行為の疑いがある行為が発生した時点において、当該情報が 所属分野の関係者に一般的に知られておらず、容易に取得することができない」ことである。
(2023)最高法知民終655号案件において、最高人民法院は製品の販売だけで技術秘密が自 動的に公知になることはないと明言し、外部観察では把握不可能な材料公差、部品間の接続関係、 内部製造プロセスといった技術情報は、非公知性を維持すると明確した。
また、「公然と知られている営業情報を整理、改良、加工した後に形成された新たな情報」は、 当該新たな情報が所属分野の関係者に一般的に知られておらず容易に取得できない限り、秘密性 の要件に合致する。
(2). 価値性の認定
価値性の核心的要件は、情報が権利者に現実的又は潜在的な経済的利益をもたらし、又は競 争優位性を形成できることである。
そのうち、段階的な研究開発成果、失敗した実験データ等も価値性の保護範囲に組み入れられ ている。このような情報は最終製品に直接転換されていないものの、権利者が重複した研究開発 投入を回避するのに役立ち、又は競争相手に研究開発の近道を提供する可能性があり、潜在的 な競争価値を有するため、価値性の要件に合致する。
(3). 秘密保持性の認定
秘密保持性の鍵は、権利者が「営業秘密及びその媒体の性質、営業秘密の商業的価値に適し 13 た合理的な秘密保持措置」を講じたことにある。
典型的且つ合理的な秘密保持措置として、人員管理、物理的防護、技術的予防・管理等を網 羅的に講じられる。
特に、テレワーク、越境協働などのシーンに対して、権限の階層化、データマスキング、操作 ログの保持等の措置を講じること、秘密に係る媒介に対して暗号化、区分管理を行うこと、コン ピュータ、記憶装置等にアクセス権限を設定すること、などが例示できる。
3.侵害行為の認定
営業秘密侵害行為の態様と責任の負担が実務上の課題となる。近年の侵害行為は「組織化・隠 蔽化・チェーン化」が特徴であり、最高人民法院は単独主体による侵害のみならず、共同侵害を 厳格に認定するとともに、会社の法人格を貫いて実質的な行為者に対する個人責任を追及する傾 向が強まっている。
(2023)最高法知民終1228号案件において、最高人民法院は、技術秘密侵害には、行為者 自らが実施する直接侵害のほか、教唆、誘引による間接侵害、及び侵害に必要な協力を提供す る行為も含まれると明確した。同案件では、教唆者、使用者、図面提供者が共同の過ちを有する として、連帯責任を負うこととなった。また、(2023)最高法知民終2467号案件では、侵害行為 を実施するために設立された「ダミー会社」の法人格を否認し、実質的な支配者と会社との連帯 責任を認めることが示された。
また、侵害行為の認定については、「権限を付与されず、権限の範囲を超え、又は権限付与期 間の満了後」にデータをダウンロード・転送する行為を侵害行為と認定する。これにより、実務上 発生頻度の高い事案、即ち、退職従業員が制限付き権限の猶予期間を利用してデータを集中的 に移転する行為、に対応している。
権利者が、被疑侵害者の使用する情報が自分の営業秘密と実質的に同一であり、かつ被疑侵 害者が当該営業秘密を取得する可能性を有する(即ち、「接触」)ことを証明できる場合、侵害行 為が成立すると推定する。その場合、被疑侵害者は、合法な入手経路(独自の研究開発、許諾使用、 リバースエンジニアリング等)を挙証できれば、侵害行為の成立は否定できる。
4.典型的な事例の分析――(2023)最高法知民終1590号/最高人民法院第49次 指導的裁判例
4.1 案件の概要
A社の従業員約40名が2016年7月前後に相次いで退職し、B社に入社した。A社は、B社が上記退職者の一部を発明者又は共同発明者とし、A社で勤務中に接触した電気自動車のシャー シ応用技術及び12件のシャーシ部品図面・数値モデルに記載された技術情報を利用して12件 の実用新案を出願したことを発見した。さらにB社は、短期間に多種の電気自動車を発売し、A 社の技術秘密を侵害した疑いが生じた。
4.2 裁判の理由
1.技術秘密の成立に関する認定
(1)秘密性の認定
対象となる電気自動車シャーシ応用技術、及びそのうち12点の図面・数値モデルに記載され た技術情報には、シャーシ部品の形状、構造、寸法、公差、材料情報、製造プロセス情報等の 具体的情報が含まれ、電気自動車のシャーシの製造に使用できる具体的且つ完全的な技術情報 である。リバースエンジニアリングにより一部の特定情報を取得できることは、対象となる図面・ 数値モデルに記載された全ての技術情報が非公知性を有しないことを証明するものではなく、「秘 密性」の要件に合致する。
(2)価値性の認定
対象技術はA社に多大な商業的利益をもたらし、かつA社の対象となる12点の図面・数値モ デルを含む自動車シャーシ技術は自動車製造に必要な技術であり、自動車技術への寄与度が高く、 「商業的価値を有する」要件に合致する。
(3)秘密保持性の認定
A社は対象となる技術秘密に対して、規則制度を制定して秘密保持管理を行い、従業員と秘密 保持契約を締結し、図面及び技術文書に秘密保持要求及び標識を明記し、取引先に秘密保持義 務の履行を要求する等の複数の秘密保持措置を講じており、「合理的な秘密保持措置」の要件に 合致する。
したがって、対象となる技術情報は技術秘密を構成する。
2.侵害行為の推定
第一に、接触の可能性が明確である。これら退職者はいずれも長期にわたりA社の核心的技術 職に従事し、対象となる秘密に係る図面・数値モデルを直接把握しており、意図的資料収集して いた。
第二に、技術内容が実質的に同一である。司法鑑定の結果、B社の図面・数値モデルはA社の 12点の図面・数値モデルと、独自技術を含む多数の完全同一の技術情報を有しており、B社がA社の技術秘密を実際に使用したことが十分に推定された。
第三に、B社は独自の研究開発に必要な合理的な期間を明らかに下回る短期間で対象となる技 術秘密に関連する製品を生産した。
以上から、最高人民法院はA社に更なる挙証を求めることなく、B社がA社の技術秘密を取得、 使用した事実を直接推定した。さらにB社が提出した証拠は、上記事実推定を覆すに足りるもの ではなかった。
なお、B社は一部の技術を調整したが、これは関連技術の全体的な実質的に同一の判断に影響 を及ぼさず、技術秘密侵害を成立する認定にも影響を及ぼさない。
最高人民法院は、B社の電気自動車が同一のシャーシ技術を使用しており、A社の技術秘密を侵 害したと認定した。
4.3 裁判の結果
最高人民法院はB社に対し侵害行為の停止を命じ、A社に対し経済的損害6億3800万元、 及び侵害行為の制止に要した合理的費用500万元を支払うよう判決した。
5.企業における営業秘密保護体制の構築
司法による強力な権利救済が確立された一方、企業にとって最も根本的な対策は司法に依存す る事後救済ではなく、自らの予防・管理体制の構築である。上記の裁判ルールと判例を踏まえ、 企業が実施すべき事前予防・事中管理・事後対応の一体的体制を以下に提示する。
5.1 事前予防
1.秘密情報の整理と秘密レベル別管理
企業の保有する技術情報、経営情報を網羅的に整理し、営業秘密リストを作成した上で、重要度、 漏洩リスク、商業的価値に基づき、核心秘密、一般秘密、一般情報の3段階に区分して管理する。
核心秘密(核心アルゴリズム、ソースコード、重要製造プロセス等)については、「分割管理」 を実施し、単独の担当者がすべての秘密情報を把握することを防止する。
一般秘密(通常の技術パラメータ、顧客リスト等)については、標準化された秘密保持措置を 講じる。
一般情報については、特別な管理措置を不要とする。
2.契約条項の適切な設計
(1)従業員と『秘密保持契約』を締結し、営業秘密の範囲、秘密保持期間、秘密保持義務及び責任を明確に定める。
(2)取引先、顧客、協力先等と『秘密保持契約』を締結し、義務主体、違約賠償基準、義務 の継続性を明確化する。
3.技術的管理措置の確実な実施
電子情報を保護するため、関連文書を暗号化して保存し、段階的なアクセス権限を設定し、不 正アクセスを防止する。テレワークを管理するため、秘密に係る情報の個人機器へのダウンロード を制限し、テレワーク機器に安全防護ソフトのインストール義務付け等を行う。また、物理的な管 理強化に加え、定期的に秘密管理に関する専門研修を実施する。
5.2 事中管理
1.従業員の行動を在職期間を通じて継続的監視
在職中の従業員のデータ転送行為等に対してコンプライアンス監視を行い、不正なダウンロー ド等の異常行為を速やかに警告する。退職時には、退職者に対して秘密関連資料の返還・廃置処 理などを徹底し、必要に応じて秘密保持に関する引継ぎを実施し、競業避止義務の履行状況を追 跡する。
2.外部リスクの動的監視 競合他社の製品技術パラメータ、特許出願、人員異動等の状況を監視し、侵害の疑いのある 行為を速やかに記録し、権利救済用の証拠を予め収集する。
5.3 事後対応
1.迅速な証拠確保
(1)予備的証拠の整理
営業秘密の形成過程、秘密保持措置の証明、侵害の手がかり等を収集する。
(2)侵害事実の確保
公証や提訴前の証拠保全により侵害媒体を確保し、鑑定機関に『非公知性鑑定報告書』や『同 一性鑑定報告書』の作成を依頼する。
(3)重要証拠の補完
侵害者の営業秘密への接触を裏付ける勤務記録、ログイン履歴、データ転送履歴等を収集 する。
2.権利救済ルートの適切な選択
侵害の態様や損失の規模などに応じて、行政摘発、民事訴訟、刑事告訴など最適な権利救済ルートを選択し、またはこれらを組合せて利用する必要がある。