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「信義誠実原則」の専利法への導入及び実務上の可能な適用

作者:岳 雪蘭、李 黙 | 更新しました:2021-08-27 | ビュー:

1.「信義誠実原則」の知的財産分野への浸透

2021年6月1日から施行された第4回目改正専利法(注:「専利」は、特許、実用新案、意匠の3者を含むものである)では、懲罰的賠償制度の設立、法定賠償金の引き上げなど、専利権に対する保護を高めて権利者の合法的な権益を保護するための一連の措置に加え、「信義誠実原則」に関する内容も追加し、「専利出願と専利権の行使は信義誠実の原則に従うべきである。専利権を濫用して公共の利益または他人の合法的な利益を損なうことはできない。専利権を濫用して競争を排除し又は制限し、独占行為を構成した場合、『中華人民共和国独占禁止法』に従って処理する」と明確に規定される(専利法第20条)。

中国の民法典や民事訴訟法では、「信義誠実原則」についてはすでに明確に規定されている。知的財産法は民事特別法として、この民法の基本的な原則も当然適用される。今回、専利法の総則部分でこの原則を明確に導入した理由として、「知的財産権は市場攻撃性を有し、市場開拓と競争攻防の道具として利用できるため、権利の獲得と権利行使において信義誠実を強調し、権利の濫用を禁止することは特別な意義がある」と考えられる。

2013年に改正された商標法では、すでに「信義誠実原則」が率先して導入され、「商標の登録出願と使用は、信義誠実原則に従わなければならない」(商標法第7条)と規定されている。これにより、悪意を持って他人の商標を冒認出願したり、商標権を濫用したりするなどの不正行為を規制する。

今回、専利法においても「信義誠実原則」について明確に規定されるのは、知的財産権の権利者が法律の範囲内で権利を行使すべきであることをさらに強調し、知的財産権に対する保護が連年強化され、国民の知財意識がますます高まっている状況で、法律を通じて権利者の合法的な権益と公共の利益とのバランスをよりよくとりたいという立法者の考え方がみられる。


2.権利付与・権利確定段階における「信義誠実原則」の適用

専利法の「信義誠実原則」に関する規定は上位的な規定であり、権利付与・権利確定段階で、この規定の執行にはより具体的な関連措置が必要である。

2020年11月27日に国家知識産権局は『専利法実施細則改正案(意見募集稿)』を公布し、「捏造、偽造、複製、寄せ集め、またはその他の不正行為は専利法第20条第1項に違反する行為である」と規定するとともに、「信義誠実原則」に違反することを新たな拒絶理由と無効理由にした。

2021年8月3日に公布された『専利審査指南改正案(意見募集稿)』では、専利出願段階で「信義誠実原則」違反の判断基準が定められ、いくつの具体例も提示された。

このほか、国家知識産権局は『専利出願行為の規範化に関する弁法』(国家知識産権局第411号公告)を公布し、「信義誠実原則」に違反し、不正な利益を得ようとする「非正常な出願」に対する審査基準と処理方法を詳しく規定した。

専利行政機関のこれらの具体的な措置に加えて、権利付与・権利確定段階における「信義誠実原則」の徹底実施のため、司法機関も関連措置を講じた。

2020年9月12日から施行された『最高人民法院による専利権利付与・権利確定に係る行政案件の審理における法律適用の若干問題に関する規定(一)』第5条では、「当事者は、専利出願人や専利権者が信義誠実原則に違反し、明細書及び図面の具体的な実施形態、技術効果及びデータ、図表などの関連技術内容を捏造・偽造することを証拠により証明でき、それに基づいて関連請求項が専利法の関連規定に合致しないことを主張した場合、人民法院が支持しなければならない」と規定している。

今後、これら一連の法律・法規によって、出願段階で技術案を捏造したり、実験データを偽造したり、従来技術を複製したりするなどの不誠実な行為を規制し、真正のイノベーションを保護することが期待される。

また、出願段階の「信義誠実原則」に違反する行為について、専利行政機関が審査段階で積極的に審査するほか、一般公衆も具体的な証拠に基づいて、情報提供を行ったり、無効審判請求を提出したりするなどのルートで不正行為が発生した出願の権利化を阻止することができる。


3.権利行使段階における信義誠実原則の適用

専利権の独占排他的性質と専利法に基づく専利権に対する強力な保護により、権利者は積極的に権利行使を行い、侵害警告や侵害訴訟のかたちで市場競争の優位性を獲得することがある。しかし、このような権利行使行為が合理的な限界を超えると、権利濫用になる可能性がある。正当な権利行使ではなく、訴訟などを利用して悪意を持って競合他社に打撃を与える行為について、法律による規制が必要である。

権利行使段階における信義誠実原則を違反して権利濫用する行為は、説明の便利上、権利自体の有効性によって2種類分かれることができる。一つは、権利者が権利自体が合法ではないことを知りながら権利を行使する、いわゆる「悪意訴訟」行為である。 もう一つは、権利そのものが合法的に安定性のあるものだが、権利者の権利行使行為には不正がある、いわゆる「不正な権利行使」行為である。


3.1 悪意訴訟

早くも2011年に、『最高人民法院による民事案件事由規定の改正に関する決定』によると、第二レベル事由である「知的財産権の所有権、権利侵害紛争」の下に「悪意で知的財産権訴訟を提起することによる損害責任紛争」との事由が追加され、知的財産権の悪意訴訟について規制する。

「悪意訴訟」とは、通常、行為者が不法または不正な利益を得る目的で、事実上および法律上根拠のない訴訟を故意に提起し、訴訟で相手側に損害をもたらす行為であり、その本質は一種の権利侵害行為である。

ある具体的な訴訟行為が悪意訴訟に該当するか否かについては、主観的な過失、損害結果、および侵害行為と損害結果との間に因果関係があるかどうかなど、民事侵害行為の構成要件を考慮しなければならない。その中、行為者が提訴する際に主観的な悪意を持っていたかどうかは、悪意訴訟が成立か否かを判断するカギとなる。

喬安社対張志敏氏悪意訴訟損害賠償事件((2019)滬民終139号)において、張志敏氏は凱聡社の法定代表者として、自社製品であるS421C監視カメラがすでにECプラットフォームで公開販売されたことを知っていながら、すでに公開販売された製品ついて意匠登録出願を提出した。登録した後、喬安社に対して意匠権侵害訴訟を提起し、1000万元の財産保全申立てもした。

これについて、裁判所は下記のように認定した。

張志敏氏が自社がすでに公開した製品について意匠出願をすることは、信義誠実の原則に反し、悪意出願行為である。また、1000万元という高額な賠償金を請求するのは、意匠による製品の利益に与える貢献度をはるかに超え、競争相手を打撃する意図を持っていることがわかる。さらに、その1000万元の賠償金請求が裁判所により全額で支持する可能性が極めて低いこと、喬安社の資金1000万元を保全することは喬安社に不必要な損失をもたらすことを予測できるにもかかわらず、財産保全を申立てることは、侵害訴訟により競争相手の利益を損なう不正な目的を持つことが明らかである。そのため、明らかに不当で誠実さに反する訴訟行為が存在することがわかる。

これにより、裁判所は張志敏氏が意匠権侵害訴訟を提起した行為に主観的悪意があると認定し、喬安社に25万元余りの賠償金を支払うと命じた。

遠東セメント社対四方社の悪意訴訟損害賠償事件((2015)京知民初字第1446号))では、特許権者である四方社は無効段階で製品クレームを補正し、方法クレームを削除したが、補正前の製品クレームと方法クレームに基づいて競合他社の遠東セメント社に対して特許権侵害訴訟を提起した。この行為について、裁判所は、民事訴訟は信義誠実原則に従うべきだ。四方社は無効段階で自ら方法クレームを放棄し、製品クレームを補正したが、また補正前のクレームに基づいて遠東セメント社を提訴したのは、基本的な事実根拠と権利基礎を欠いており、悪意が明らかで、当該特許権侵害訴訟による遠東セメント社の損失を賠償しなければならないと認定した。

専利権の安定性判断と権利侵害判断は専門度が高いため、単なる係争権利が最終的に無効されたことや非侵害と認定されたことだけで、権利者が侵害訴訟を提起したことに悪意があると認定できない。

格力社対吉通社の悪意訴訟損害賠償事件((2019)浙民終1602号)では、吉通社が提起した実用新案権侵害訴訟が悪意訴訟であると格力社の主張は裁判所に認められなかった。

格力社は、吉通社に実用新案権侵害で訴えられた後、自社製造して係争実用新案の出願日前にすでに公開販売されたA3エアコンを従来技術として係争実用新案を無効にした。格力社は、「吉通社がエアコンのメーカーとして、格力社がすでにA3エアコンを販売したことを知っているべきだ。A3エアコンにより公開された技術について実用新案登録出願を行い、格力社に対して権利行使することに明らかな悪意がある」と主張した。

しかし、裁判所は下記のように認定した。

格力社が提出した無効審判の審決などの証拠は、吉通社が従来技術を知りながらその従来技術について出願するとの悪意出願行為を実施したことを証明できない。また、格力社は、吉通社がその実用新案権の安定性が不十分であることを知りながら訴訟を行ったり、訴訟自体を超える他の不正な目的を持っていることを証明できる証拠も提出していない。吉通社が実用新案権侵害訴訟を提起したとき、その権利は合法的で有効であり、提訴行為は、権利者の合法的な権利行使とみなすべきである。

これら事例からわかるように、専利権侵害事件において、権利者のいわゆる「主観的悪意」とは、通常、権利者がその専利が権利付与の条件を満たしていないことを知っていながら、その専利権を利用して他人に権利侵害訴訟を提起する主観的な意図である。この当事者の主観的意図について、専利権の有効性のみに基づいて判明するのではなく、当事者が出願段階および権利侵害訴訟を提起する段階における具体的な行為を踏まえ、客観的な証拠に基づいて総合的に判断しなければならない。


3.2 不正な権利行使

どんな権利にも限界がある。権利自体には瑕疵がなくても、権利者が権利の限界を超えて権利を行使すると、他人の権益や公共の利益を侵害することが可能であり、権利濫用となることがあり得る。中国の司法実務では、いつも当事者間の利益バランスを重要視し、必要な限界を超えて専利権を濫用する不正な権利行使に対して明らかな否定的な態度を示している。

双環事件((2014)民三終字第7号)において、最高人民法院は、「権利者が合理的な範囲内でその権利を行使すべきだ。権利行使を行う際に公平な競争秩序の維持を重視する必要があり、権利侵害警告を濫用して競争相手の合法的な権益を侵害することを避けなければならない」と指摘した。

理邦事件((2015)民申字第191号)において、最高人民法院は同様に、「専利権侵害警告の紛争解決機能を効果的に発揮させ、当事者間の利益バランスを維持するためには、権利侵害警告の送信条件、送信内容、送信対象の範囲、送信方式などを適切に制限する必要があり、権利者が不正な侵害警告行為による法的責任を負わなければならない」と指摘した。

第4回目改正専利法の条文から見ると、権利者は専利権を利用して独占行為や競争を排除・制限する行為は主に独占禁止法により規制し、専利法の信義誠実に関する規定は、主に専利権を濫用して公共利益または他人の合法的権益を損なうが独占行為にはなっていない行為を対象としている。従来、このような行為は不正競争防止法によって規制されることが多い。

街電社と来電社の不正競争紛争事件で、来電社が6件の特許権に基づいて街電社と街電社関連製品の様々な使用者に対して、深セン、北京、広州で30件余りの訴訟を提起した。同時に、様々な使用者に対して河南省知識産権局、済南市知識産権局で20件余りの特許権侵害行政取締要請も提起した。このような行為は、「明らかに正当な限度を超えており、司法と行政の資源を借りて特許権で不当な利益を得て、競争相手を排除しようとの目的を有し、信義誠実の原則に反し、正当な権利行使における商業倫理に反し、市場の秩序を乱した。来電社の行為は権利濫用であり、不正競争を構成した」と、裁判所は認定した。

専利法には「信義誠実原則」を導入した後、不正な権利行使行為について、専利法と不正競争防止法は競合する可能性がある。「信義誠実原則」は一般条項として、補強的な位置付けだと思われる。より具体的であり明確な法律規則の適用が可能な場合、当事者はその具体的な法律規則に基づいて自らの合法的権益を守ることが好ましい。


3.3 権利濫用の相手当事者の救済ルート

今までの司法実務から見ると、権利者が提起した権利侵害訴訟は、悪意訴訟や権利濫用の疑いがあっても、この侵害訴訟は、権利が無効されたり、裁判所が原告の訴訟請求を却下したり、原告が自ら訴訟を取り下げたりすることで決着することが多い。権利者の行為が権利濫用であるとの認定をもらいたい、権利者の濫訴による損失について賠償を請求したい場合には、権利侵害訴訟の被疑侵害者は別途提訴する必要がある。

この状況は専利法に「信義誠実原則」を導入した後に変わることが期待される。

商標権侵害訴訟において、裁判所は「信義誠実原則」に基づいて権利者の提訴は悪意訴訟であるとの被疑侵害者の抗弁を認めた事例((2018)最高法民再396号)を参照し、今後、専利権者の権利濫用行為に対しても、被疑侵害者は権利者の提訴が悪意訴訟であることや権利濫用であることを、自分の抗弁理由にすることが可能であろう。

また、2021年6月3日に、最高人民法院は『知的財産権侵害訴訟において被告が原告の権利濫用を理由として合理的な支出の賠償を請求する問題に対する回答』を公布し、「知的財産権侵害訴訟において、被告が、原告の提訴が法律で定められた権利濫用を構成してその合法的な権益を侵害することを証明する証拠を提出し、法に基づいてその訴訟によって支払われた合理的な弁護士費用、交通費用、食事・宿泊費用などの支出を原告に請求した場合、人民法院は法に基づいて支持する。被告は別途提訴し、原告に上記合理的な支出の賠償を請求することもできる」と定めている 。

すなわち、知的財産権侵害の訴えを悪意をもって提起した原告(権利者)に対して、被告(被疑侵害者)は別途提訴してもよいし、専利法第20条の規定に基づき、権利侵害訴訟において証拠を提出したうえで、原告が権利を濫用して他人の利益を損害する行為について賠償を請求することができる。

この規定は、当事者により柔軟な司法救済手段を提供し、当事者の訴訟による負担を軽減するとともに、司法資源を節約し、事件の審理効率を高め、当事者が誠実をもって訴権を行使させることに寄与する。


4.むすび

専利法及び専利法実施細則を改正し、関連する司法解釈や部門規定などを制定するなどの一連の措置を通じて、民法における「信義誠実原則」が専利法に導入され、出願審査時と権利濫用を防止する際の法律上の根拠となれる。専利出願審査、権利の確定、権利行使とのすべての段階で「信義誠実原則」を具体化し、「信義誠実」を抽象的な法律原則として提示するのではなく、それを具体的な実務においても適用したいと行政機関と司法機関の意向がみられる。専利権に対する保護を強化すると同時に、専利権の行使を規範化しようとする傾向が示される。「信義誠実原則」の専利法への導入は、専利権の保護だけでなく、社会公衆の合法的な利益も守るためにより多様な法的根拠と救済ルートを提供し、イノベーションの激励と公正平等な市場秩序の維持に現実的な意義を持っている。


参考文献:

1. 中華人民共和国専利法の改正に関する決定、2020.10.17。

2. 中華人民共和国商標法。

3. 孔祥俊、民法典と知的財産権の適用関係[J]、知識産権、2021年第1期。

4. 最高人民法院による専利権利付与・権利確定に係る行政案件の審理における法律適用の若干問題に関する規定(一)、司法解釈〔2020〕8号、2020.9.10。

5. 国家知識産権局、専利法実施細則改正案(意見募集稿)、2020.11.27。

6. 国家知識産権局、専利審査指南改正草案(意見募集稿)、2021.8.3。

7. 陳揚躍、馬正平、専利法第四回目改正の主な内容と価値の方向性、知識産権、2020年第12期。

8. 王佩蘭、信義誠実原則と専利制度[J]、中国発明と専利、2007年第7期。

9. 饒先成、信義誠実原則の拒絶理由と無効理由として導入の法律仕組み—専利法第4回目改正案(草案)第20条の評価、科技と法律、2020年第4期。

10. 最高人民法院による知的財産権侵害訴訟において被告が原告の権利濫用を理由として合理的な支出の賠償を請求する問題に対する回答、司法解釈〔2021〕11号、2021.6.3。