中国において、発明の進歩性を判断する場合、主に「スリーステップ法」(中国語で、「三歩法」と呼ぶ)[1]を採用する。また、場合によって、「本発明が技術的偏見を克服した」及び「従来技術には逆の技術示唆がある」ことを補強理由として主張することもできる。本稿はいくつの事例に基づいて「技術的偏見の克服」と「逆の技術示唆」の二つの主張理由をめぐって特許審査の実務を紹介する。
1. 「技術的偏見の克服」について
1.1. 「技術的偏見」の定義
中国特許審査指南では、進歩性を判断する際に考慮すべくその他の要素が明確に規定されており、そのうち、「技術的偏見」について以下のように定義されている。
「技術的偏見とは、ある期間内、ある技術分野において、技術者がある技術的課題に対して普遍的に存在し客観的事実から逸脱した認識を指し、当該認識は人々が他の可能性を考慮しないように誘導し、当該技術分野に対する研究と開発を阻害する」。
また、「発明がこのような技術的偏見を克服し、人々が技術的偏見により捨てた技術手段を採用することで技術課題を解決すれば、この発明は進歩性を有する」と規定している。
特許審判部の著作『特許復審・無効審判典型判例ガイドライン』においても、上記の定義を採用した[2]。
中国の最高裁判所も判決書では上記の定義を採用した((2020)最高法知行終26号判決書)。
このように、中国特許庁の実体審査部門、審判部及び裁判所は、「技術的偏見」に関する認識は完全に一致していることが分かる。
1.2.「技術的偏見」への解読
1.2.1.「技術的偏見」は時間とともに変化する
「技術的偏見」は「ある期間」に普遍的に存在する認識であるため、特定の期間内に「技術的偏見」であるが、時間の経ちにつれて、その技術的偏見は意識され克服されたことにより、消える可能性もある。つまり、出願日以前の従来技術では、ある認識が「技術的偏見」に属すると考えていたとしても、当該出願日までに当該認識がずっと「技術的偏見」に該当することを意味するわけではない。
1.2.2.「技術的偏見」とは、技術課題に対するものである
最高裁判所は、「技術的偏見は、技術課題に対して提出したものであり、係争特許が実際に解決する技術課題と合わせて認定する必要がある」と指摘した((2020)最高法知行終26号)。
したがって、「技術的偏見」があるか否かを判断するには、発明が解決しようとする技術課題を考慮しなければならない。この「技術的偏見」の存在により、当業者がある技術課題を解決するために相応な技術手段を採用することはしない。「技術的偏見」によってその解決が阻止される技術課題は本願発明の技術課題と関連性がない場合、本願発明の技術課題の解決にとっては「技術的偏見」が存在するとは考えられない。
事例:(2020)最高法知行終26号判決
係争特許の請求項1は、HFO−1234 yfがさらに3,3,3−トリフルオロプロピンと組成物を形成する点において引例1と相違している。
特許権者は、当該分野では、3,3,3-トリフルオロプロピンが単独で又はHFO−1234 yfと組み合わせて冷媒として使用されるのに適さないという技術的偏見が存在すると主張した。具体的に、3,3,3-トリフルオロプロピンは反応活性が高く、安定ではない。これに対して、冷媒として安定な成分を用いて製造することが要求されている。
特許権者の主張について、最高裁判所は、下記のように認定した。
まず、係争特許明細書の記載に基づいて、特許の実際に解決する技術課題は、「3,3,3-トリフルオロプロピンとHFO−1234 yfを含む冷媒組成物を提供すること」であると認定した。
次に、この技術課題に基づいて、当業者にとって3,3,3−トリフルオロプロピンがHFO−1234 yfとともに冷媒組成物として使用できないという技術的偏見が存在するかどうかについて判断した。特許権者の証拠は、3,3,3−トリフルオロプロピンがHFO−1234 yfと一緒に使用すると、冷媒として求める安定性要求に適合しなくなったり、冷媒効果が失われたりすることを証明していない。したがって、上記の技術課題にとっては、従来技術にHFO−1234 yf冷媒組成物に3,3,3−トリフルオロプロピンを含んではいけないという技術的偏見が存在していないと認定した。
1.2.3.技術的偏見は「普遍的に存在される」認識でなければならない
技術的偏見となっていた技術に関する認識は、当業者の普遍的な認識または共通な認識でなければならず、単に1件または複数件の特許文献や技術論文に記載された異なる見解であれば、「技術的偏見」として認定できない。「技術的偏見」は、ある程度において、誤った「周知常識」とみなされるのが適切である。
1.2.4. 技術的偏見は、「客観的事実から逸脱する」というレベルに達していなければならない。
ある認識が技術的偏見に該当するか否かを判断する際には、当該認識が、ある技術課題の解決にとっては、ある特定の技術的手段を用いることができないことを明確に導くか否かを考慮する必要がある。もし従来技術にその技術課題を解決するため多くの手段が示されているだけで、当該技術課題が当該特定の技術的手段では解決できないことを明示していないのであれば、従来技術における認識は「技術的偏見」に該当するとは言えない。
2. 「逆の技術示唆」について
2.1.「逆の技術示唆」の定義
中国の特許法、実施細則及び特許審査指南には逆の技術示唆の定義は明示されていないが、審査指南では進歩性判断に関して「技術示唆」の意味が提示されているので、この「技術示唆」の意味から「逆の技術示唆」の意味を理解できる。
審査指南では、進歩性判断における「自明性」の判断ステップを規定している。
このステップでは、最も近い従来技術と発明が実際に解決しようとする技術課題から、本発明が当業者にとって自明であるか否かを判断する。判断の過程で、従来技術には全体として技術示唆があるかどうかを判断すべきであり、即ち、従来技術に技術課題(すなわち、発明が実際に解決した技術課題)を解決するために上記の相違点を最も近い従来技術に応用する示唆が与えられているか否かを判断すべきである。この示唆により、当業者が前記技術課題に直面している間に、最も近い従来技術を改善し、本発明を得る動機付けがある。このような技術示唆が従来技術に存在する場合、発明は自明であり、顕著な実質的特徴を有しない。
即ち、従来技術における「技術示唆」とは、当該示唆により当業者が技術課題を解決するために、当該技術示唆に係る技術手段を最も近い従来技術に適用する動機付けがあることを指す。
したがって、「逆の技術示唆」とは、当業者が当該「逆の技術示唆」を受けた後、当該技術課題に直面する際に当該「逆の技術示唆」に係る技術手段を最も近い従来技術に適用することなく、つまり「逆の技術示唆」に係る技術手段を最も近い従来技術に適用するへの阻害要因のことをいう。
2.2.「逆の技術示唆」への解読
2.2.1.「逆の技術示唆」は技術課題に関連すべきである
「逆の技術示唆」があるか否かを判断する際に、原則として技術課題を考慮すべきである。即ち、従来技術に、相違点に対する技術手段が発明の課題を解決できないという示唆が与えられなければならない。
事例:(2012)高行終字第1203号
係争特許と証拠1との相違点の一つが、膜濾過法を利用して発酵液中の菌体及び残留アルカン又は脂肪酸を除去することにある。当該相違点に対して、請求人は、他の証拠を引用して当該相違点が通常の技術手段であると主張した。
二審において、北京高級裁判所は、証拠に「逆の技術示唆」が存在するため、特許の進歩性を否定できないと認定した。具体的な理由は以下の通りである。
前記相違点が解決する技術課題は、分子量の大きい菌体と分子量の小さいアルカンを除去し、分子量が中間にある二塩基酸を残すことである。
しかし、証拠によれば、圧力濾過法又は遠心分離法によれば、発酵液中の分子量の大きい菌体から、アルカン及び二塩基酸を分離できるが、アルカンと二塩基酸をさらに分離することができない。また、公知常識となる膜濾過法によれば、分子量が相対的に小さい二塩基酸とアルカンはいずれも膜によって止められることができず、膜濾過手段も両者を分離することができない。
すべての証拠によると、膜濾過法を用いてアルカンと二塩基酸を直接分離することはできず、係争特許発明の技術課題を解決できない。当業者が従来技術と公知常識から得た示唆は、本特許にとって逆の技術示唆である。
2.2.2. 「逆の技術示唆」は明確かつ直接なかたちで提示されなければならない。
「逆の技術示唆」の技術内容が曖昧な表現ではなく、必ず明確かつ直接な内容である。
事例:(2020)最高法知行終185号
係争特許、「無線受信アンテナがAM/FM共有アンテナである」発明であり、証拠1のAM/FM分離式アンテナと比べて、相違点がある。
無効審決と審決取消訴訟の一審判決は、いずれも「証拠1に記載のAM/FM分離式アンテナは、主に長尺棒状の伸縮式AM/FM共有アンテナが故障しやすいという課題を解消する技術手段であり、AMアンテナとFMアンテナの分離式デザインは、本特許発明にとって、逆の技術示唆が示されている」と認めた。
最高裁判所は無効審決及び一審判決と異なる意見を示した。
証拠1に記載された技術課題はAM/FM共用アンテナの欠陥を提示しているように見えるが、証拠1の内容をよく考えれば、この欠陥はAM/FMアンテナの分離や共用に関係なく、長尺棒状アンテナ、螺旋状アンテナ、ガラスアンテナ、平面アンテナなどアンテナの種類によって生じられた課題である。したがって、当業者は証拠1の開示内容に基づいて、AM/FM共有アンテナ自体が係る技術課題の存在を意識し、本件発明と逆の技術示唆をうけられると判断できない。
3.「技術的偏見の克服」と「逆の技術示唆」の区別
3.1.説得力が違う
もしある課題に対して、当該分野に「技術的偏見」が存在することを証明できれば、当該技術的偏見を克服した発明の進歩性レベルが非常に高いと認められる。これに基づいて進歩性を主張する場合、説得力が非常に強い。
然し、「逆の技術示唆」に対して、従来技術に「逆の技術示唆」が存在する証拠を見つけて、これに基づいて進歩性を主張しても、必ずしも審査官に認められることではない。
最高裁判所は「従来技術に逆の技術示唆が存在するかどうかを判断する場合に、当業者の知識レベル及び認識能力に基づくべきである。・・・当業者自身も実際解決する技術課題に基づいて、あらゆる関連要素を考慮して、相応の分析、選択と判断の能力がある」と指摘した((2020)最高法知行終185号の裁定書)。
即ち、例え「逆の技術示唆」が存在しても、当業者が依然として「あらゆる関連要素を考慮して、相応の分析、選択と判断」をすることで、理性的に当該「逆の技術示唆」に対して分析判断して、従来技術にある「示唆」が本発明の技術課題の解決に応用できるか否かを判断できる、と考えている。
3.2. 立証のハードルが違う
「本発明が技術的偏見を克服している」及び「従来技術に逆の技術示唆がある」は、いずれも出願人や特許権者が進歩性を主張する理由となる。但し、二者は立証のハードルが全く違う。
上記のコメントのように、技術的偏見が「普遍的に存在する」認識であることを証明しなければならないため、該技術的偏見が出願日の前に既に当該分野の共通認識であったことを証明するのに十分な証拠を提出する必要がある。
但し、「技術的偏見の克服」の立証はどの程度まで達する必要があるのかについて、現時点では法律に関連規定はなく、それを説明する具体的な判例もなかった。この点については、欧州特許庁の上訴委員会が『Caselaw』で示したアドバイスを参照することができると思う。
「一般的に、一件の特許明細書にしか記載されていない内容は、偏見の証明にならない。その理由は、一件の特許明細書又は科学文章に開示されている技術情報が、特定の前提または著者の個人的な見解に基づいている可能性がある。しかしながら、この原則は、関連分野の当業者の知識を代表する基準的な著作物または教科書における解釈には適用されない。」
上記のアドバイスから分かるように、欧州特許庁の上訴委員会も、一件の特許明細書又は科学文章にしか記載されていない技術情報は、偏見の証明にならないと認められている。しかしながら、当業者の知識を代表する基準的な著作物または教科書であれば、技術的偏見の存在を証明する証拠となる可能性がある。
然し、我々の経験では、基準的な著作物または教科書において、ある技術手段がある技術課題を解決できないという「消極的な内容」が明記されていないことが一般的であるため、適切な基準的な著作物や教科書を見つけるのも容易ではない。
一方で、「従来技術に逆の技術示唆がある」を証明しようとする場合には、関連従来技術に「該示唆に係る技術手段は、本発明の技術課題を解決することができない」という明確かつ直接的な記載が見付かれば、十分であると思う。
従って、「従来技術に逆の技術示唆がある」の証明と比べて、「技術的偏見」を証明するための立証が困難であり、成功率も低い。
3.3.明細書の記載に対する要求が違う
最高裁判所は、「技術的偏見を克服する発明創造に対して、発明者は技術的偏見を特許出願書類に明確に記載し、且つ当該発明創造が技術的偏見の克服に対して貢献した所を説明しなければならない」と指摘した((2019)最高法行申3001号の裁定書)。
そのため、「技術的偏見の克服」を理由として進歩性を主張する場合は、明細書に技術的偏見を記載し、どのように該技術的偏見を克服したかを記載すべきである。このような記載は明細書に一切なく、ただ意見書で技術的偏見の克服を主張すれば、認められる可能性は大きくない。
4. その他の注意点
4.1.理由の選択と転換
証拠の状況に応じて、適切な主張理由を選択し、進歩性を主張すればよい。
また、既に主張した理由を審理状況に合わせて変更してもよい。
4.2. 進歩性を主張する場合に基本の考慮
「本発明が技術的偏見を克服している」及び「従来技術に逆の技術示唆がある」の二つの理由は「三歩法」で進歩性を主張する場合に組み合わせて使う補助的な理由である。三歩法を用いずにこの二つの補助的な理由だけで進歩性を主張することはお勧めしない。
5. まとめ
「技術的偏見の克服」及び「逆の技術示唆」は証明力、立証のハードル及び明細書の記載において違いが存在している。従って、進歩性を主張する場合に、実際の証拠により適切な主張理由を選択する必要がある。
他には、どの理由を採用しても、本発明が実際に解決する課題に対して論述すべきである。